Between Breads and Noodles, Artist Statement

|English|Korean|

 

Between Bread and Noodles

 

2014年夏、ドイツのデュッセルドルフ市がアーティストのために運営するアパートに滞在した。

国家政策により移民した人々とその後の世代が、二つの国をどのように受け入れ暮らしていくかを見つめるのが目的だった。

深刻な就職難の解消と外貨を獲得するため海外人材輸出の一環として、韓国政府は1963~1977年の間に8千余名の炭鉱夫と1万余名の看護師を西ドイツに派遣した。 1963年の派独炭鉱夫500人の募集に対して46千人が支援するほど当時の就職難は深刻だった。自国の約3倍の賃金を求め、高学歴の青年たちが競ってドイツへと渡ったというエピソードは有名である。私が滞在したデュッセルドルフ(Dusseldorf)ドルトムント(Dortmund)、エッセン(Essen)などのルール(Ruhr) 地方は炭鉱が多く、韓国から炭鉱夫が最もたくさん派遣された町である。20~30代の青年たちが辛い肉体労働に耐える代価として母国と家族を支えることができた。彼らの努力が1960~70年代に『漢江₍ハンガン₎の奇跡』と呼ばれる経済成長の土台となったことは韓国の新聞やニュース、映画などを通じて広く知られている。人材派遣政策が終わった後も留学やビジネスを目的にドイツへ向かう韓国人は後を絶たない。

報道では接することができない在独コリアンの『日常』と『個人史』に出会いたかった。日本への移民3世である私は、移民2世以降の人々のアイデンティティに着目した。二つの母国語を知る彼らに出会うため、週末に開校されるハングル₍韓国語₎学校を見つけて足を運んだ。 ハングル₍韓国語₎学校では私的な目的でドイツへ渡った人たちにも出会うことができた。在独コリアンは二つのドイツと韓国の社会変化に影響を受けたが、『労働』を公的な目的として渡った彼らは、イデオロギーからは自由で、移民したドイツの文化を自然と受け入れた。 国家政策によって移民した人々と23世を中心にインタビューを行った後、彼らの日常を背景に家族写真を収めた。

韓国文化を懐かしみながら異国の地で開拓者としての人生を送った1世はたくましさそのものである。炭鉱夫と看護師は3年契約で派遣された。看護師は病院で引き続き契約更新されたのに対し、炭鉱夫の殆どは契約完了と同時に帰国しなければならなかった。新しい生活を開拓した青年たちは、ドイツで引き続き住み続けるためビザを持つ看護師と積極的な出会う場を持ったというエピソードもある。滞在だけが目的ではなく、同郷の男女が出会って家族を作ることは辛い肉体労働を耐えるモチベーションになったのである。私がドイツでの滞在中に出会ったのは『炭鉱夫と看護師出身のご夫婦』または『ドイツの男性と看護師出身のご夫婦』であることがこの事実を裏付ける。インタビューで綴られる映像作品にはご夫婦の出会いから育児までのエピソードも登場する。

生活のため、夢をかなえるため、ドイツへ渡った人たち。

国家政策により派遣された人々と私的な理由で移住した人々の話から『ヨーロッパの中のアジア人』として生きることが彼らの一番の試練と思うようになった。興味深いのは1世と2世のアイデンティティの『差異』である。出会ったほとんどの23世は「私はドイツ人」と認識している。2世の母とギリシャ人の父との間に生まれ、ドイツ語、英語を含む4か国語を駆使するゾイとイリニ。娘の1歳のセレモニーを韓国式で準備するミファ。家族パーティにやってきたサンフンとソンイは東では西洋人、西では東洋人と語る。彼らはみな『私』の中の韓国と共にドイツ人として生きているのである。

中央駅前のアジアンマートではアジアの食材が何でも手に入るほど、デュッセルドルフはアジア人がたくさん住んでいる。ドイツに住んでいると人々がアジア人をひとくくりに見る視線を経験することができる。ドイツ人コミュニティとアジア各国のコミュニティは若干の距離を置いて共存していた。

私は各コミュニティが少しでも近づく切っ掛けの場として、またひとくくりに見られるアジア人から一人の個へ出会うことを表現するパフォーマンスを行うことを決めた。

まず韓国、日本、台湾、インドネシア、ベトナム、タイから英語のパッケージで輸入された約40種類のインスタントラーメンを2000個積み上げたラーメンタワーを作りヨーロッパの中で生きるアジア人を表現した。表面はすべて韓国ラーメンになっているが、中は同じラーメンが重ならないように40種味がランダムに並べられている。その中から好きなラーメンを選び、食べるというパフォーマンスを行った。

ラーメンタワー₍アジア人₎に近づきー味を選び₍個性を知り₎-食べてみる₍親しくなる₎という行為により、人が個性にたどりつくことを食べ物に例えたのである。

パフォーマンス会場前の通りの向こう側には中央アジアからの移民が暮らしていた。彼らはラーメンを積み上げる7日間のあいだ興味深く作業を見つめていた。そしてパフォーマンス当日、子供たちが列をなして参加してくれることになった。些細なトラブルから普段は彼らとの接触を好まないドイツ人のキュレーターは「彼らとこんなに交わることは初めだ」と楽しそうにジュースを配ってくれた。

外からみるとにひとくくりに見える中には常に多様な個性が存在している。実際近づいてみないとこの当たり前のことを見過ごしてしまう。分断と統一、多様な思想、そして東西の文化の中で彼らの輝かしい『日常』は続いてゆくのである。