KIM Bo-Ryeong (reporter), '월간사진 monthly photo', Japan, Dec 2008

photo magazine '월간사진 monthlyphoto', 2008.December,Korea

Interview With, P136-P139  

text: Kim Bo-Ryeong (reporter) 

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写真雑誌<月間写真> interview With 2 P136-139 

 

 

理念と国家を超えた在日同胞家庭の日常

 

『ウリハッキョ』をご存知ですか?2007年に公開された独立ドキュメンタリー映画『ウリハッキョ』の公開がなければ簡単に忘れられたかもしれない学校、ウリハッキョ(朝鮮学校)は、在日同胞達が朝鮮語の教科書で学ぶ日本に唯一の民族教育期間である。ここに通う子供達が親しみを込めて学校を呼ぶ言葉『ウリ(私たちの)ハッキョ(学校)』からタイトルをつけた映画が10万人の観客を動員する時、一方で同じ素材を撮影した写真展が静かに開かれていた。金仁淑(31)は2001年から今まで大阪にある北大阪朝鮮初中級学校の子供達の学校生活を撮影してきた。そして、2007年からはその子供達の家庭に目を向け、在日同胞家族の日常と在日コリアンとしてのアイデンティティーを守ってゆく姿を写真に収めている。

金仁淑は大阪の朝鮮学校を卒業した在日3世である。済州島出身の祖父母は日本の植民地時代に日本へ渡り9人の子供を生み、朝鮮国籍だった在日2世の父は日本人の母と結婚した。母は日本人であるにも関わらず、子供達に差別されない学校に通わせたいと朝鮮学校に子供達を送った。金仁淑と弟は共にウリハッキョで『甘い(sweet)』幼年時代を過ごした。彼女は自らのアイデンティティーについて盛んに悩む20歳頃に韓国国籍を取得。朝鮮学校と在日コリアン社会の現実を世界に知らせるため、日韓を往来しながら作家活動をしている。朝鮮学校の日常を8年間記録した<sweet hours>は去る6月光州市立美術館で展示され、12月8日からはチュンムロに位置するGallery illumで韓国と北朝鮮と日本のどの国にも属さないまま浮遊する在日同胞の家族の自画像である<サイエソ in between>が展示される。人生の黄昏を迎える在日同胞1世から、4世をお腹に宿った3世の女性まで、4世代の家族達の日常をフィルムに収めた。また、彼女は韓国生活を通じてアイデンティティーを模索する過程を描いた<ニムにささげる手紙(letter to you)>で2004年に写真批評賞を受賞している。

 

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ウリハッキョの甘い時間と在日同胞家庭の強い絆

 

Q.<sweet hors>はどのように撮影したか?

私が撮影している学校は母校ではない。(母校より)規模が小さい初中級学校で、全校生徒の数が100人に足らない。最初は母校の初級学校を訪ねたが、撮影許可が3日しか下りず悩んでいた頃に、ちょうど北大阪朝鮮初中級学校出身の同級生が勤める学校を紹介され、作業を始める事ができた。私は初級部(小学校)から高級部(高校)までウリハッキョに通った。ウリハッキョは私が母国語を話し生活をする唯一の空間であり、学生時代の懐かしい思い出の詰まった空間である。ウリハッキョの子供達は明るく元気だ。競争よりは互いを思いやり、祖国を愛し、母国語と母国の文化に慣れ親しんでいる。しかし学校の外に一歩出ると、私たちの暖かい空間は先入観によって北朝鮮に対するイデオロギーの空間に変わり、歴史的な産物と変わってしまう。この作品は私たち同胞の立場や理念に対する話ではない。時間が過ぎても変わらず暖かい空間とそこで生きていく人々、そして彼らの日常の話である。

 

Q. 8年という長期間の作業だというが、まるで同じ時期に撮影された写真のように感じるが?

私の記憶の中の時間と暖かい空間で育っていく子供達の日常を写真に収めている。この間に多くの子供達が卒業し、初めて会った時小さな子供だった子達が今は青年へと成長した。写真に8年の歳月が写っているが、ふと見たときに時間が流れていないように見えるのは、過去と現在が一つの空間に混在しているからである。よく私の写真を典型的なドキュメンタリーだという人がいるが、<sweet hours>は長い歳月が経っても変わらない、時間と空間に対する抽象的な表現をした作業だと思っている。この作業は学校が存在する限り、続けていく予定である。

 

Q. 在日朝鮮学校の歴史と現在はどうであるか?

朝鮮学校の子供達は学校を『ウリハッキョ』と呼んでいる。解放前に日本に渡った朝鮮人1世達は自分達でお金を集め、机と椅子を買い、工場などを改造したりバラックを建てたりして 日本で生きていく後世のために朝鮮語を教える学校を作った。始めは540校ほどあった朝鮮学校は日本の右翼勢力の弾圧と韓国政府の無関心の中で次第に数が減り、60年が経った現在、80校余が存在する。解放後朝鮮半島に戻れなかった在日同胞の多くが日本に帰化したが、まだ多くの同胞は民族心を守り、伝え、朝鮮人としてのアイデンティティーを放棄しなかった。分断以前の一つの祖国を望み、南北と日本のどこにもアイデンティティーが属さない彼らは言わば難民のようである。ウリハッキョも日本では学校法人の認可が下りていないため政府からの支援も日本学校に比べて格段に少なく、学生達は卒業しても国公立の受験資格を持つ事ができない。しかしウリハッキョの学生達は明るくたくましい。彼らはウリハッキョという共同体を通じて自身のアイデンティティーを確認し、依然として絶対的な他国と無関心な祖国の間で堂々と生きていくよう教育される。

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Q. (韓国では)朝鮮学校を北朝鮮人学校だと誤解する人が多い。実際はどうであり、韓国で生活しながら感じた点は?

朝鮮学校に子供を送る多くの同胞が韓国に故郷を持つ人が多いが、北朝鮮にも友好的である。解放後イ・スンマン、パク・チョンヒ政権は大韓民国を国籍に選んだ朝鮮人だけを韓国人と認定した反面、北朝鮮は国籍を強要せずウリハッキョに対する支援を続けてきた。よって学校に通わせる多くの在日同胞が南北に分かれる前の朝鮮半島を祖国だと思っている。学校内では北朝鮮の国旗を見て育つが国籍が韓国籍の学生も多く、南と北の文化が混ざっている。しかし、元々北と南は一つだと思っているのであまり問題にはならない。むしろ韓国に来ると度の過ぎた反共教育が南と北の断絶を深め朝鮮学校に対する偏見を作ったと思う。韓国に来た当初、私に『パルゲンイ(あか)』と冗談で言う人を見て驚いた記憶がある。

 

 

韓国よりも、より韓国的な在日同胞家庭

 

Q. 新作<サイエソ in between>は学校から在日同胞の家庭へと視点を移したが?

<sweet hours>が時間と空間に対する話だとすると<サイエソ in between>は変わりゆくものと変わらないものに対する作業だ。在日同胞1世から4世までの家族達の日常と生活する環境を写真に収めた。朝鮮半島の両国と日本という3つの国の間で生きる人々が、世代を繰り返しながら変わっていく姿と、その中で変わりなくコリアンとしての民族精神を告がれていく意志を表現した。<サイエソ in between>は自分自身の話でもある。私達は3つの世界の間に立っているが、そのどれにも属することができない。そして、どこか一つへ帰属したいという切実な想いを持って生きていると思う。

 

Q. <サイエソ in between>の作業過程を話して下さい。

2008年1月1日から約40家族を撮影することができた。 植民地時代に日本へ渡った在日1世から最近生まれたばかりの4世まで、自らを日本人ではなく在日コリアンだと思う人々だけを対象とした。家族を探し撮影許可をもらうまでの過程が一番大変だった。周りの友人、撮影している学校の先生とその家族、そして学生達に紹介された人達がモデルになってくれた。高齢になりこの世を去り始めている1世を周りで探すのが最も難しかった。幸い大阪の生野区にある福祉施設と知人が紹介してくれた人々を撮影する事ができたのだが、撮影前のインタビューで聞く彼らのエピソードの一つ一つがとても大切な話だと思い、夏からは映像でも記録を始めた。映像作品は展覧会場であるGallery illumで見ることができる。撮影はインタビューを土台にどんな家族か、いつ出会い結婚し、学校はどこに通ったか、新婚夫婦には次の世代の子供達をどう育てていくかなどを聞き、それぞれの家族のエピソードとインタビューから受けた印象から画面を構成していった。今思えば彼らが私を信じてくれたので可能な作業だった。良い人たちと共に撮影ができて幸せだった。

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Q. 作品の中には韓国的なイメージが所々に潜んでいる。写真を撮りながら特に気をつけたとこは?

元々の私達の生活そのものだ。日本の文化と韓国の文化が一つの空間に混在している。撮影するときはそれをより引き出すため、家族ごとのエピソードを参考に部屋や小物を選ぶ。ある時は韓国よりもより韓国的な要素が眼に入ってくる。開放前後の韓国文化がそのまま残っているからである。世代が変わるにつれて生活様式は変わっていくが名前や生活、考えや意志は引き続き継がれていくということを見せたかった。同一のフォーマットの家族写真を通じて彼らの多様な姿から普遍的な特性を探し出したかった。世界中のどの国でも家族の生き方はシンプルである。結婚して子供が生まれ、またその子供が結婚して独立し、上の世代は死んでゆく。このように家族は毎回同じ形態で繰り返されるが、彼らの精神と民族性は世代を超えて続いてゆく。在日同胞達はまだ記念日やお祝いの場でチマ・チョゴリを着る。法事をする日にチョゴリを着る家族や遺影写真を撮ってくれとチマ・チョゴリを着るおばあちゃんの写真は、記念日に写真館で撮る写真を意識している。

 

Q. 自伝的な写真作業を通じて伝えようとするメッセージは?

在日の生き方に目を向けてくれたら嬉しい。在日同胞に対する韓国人の反応は主に二つに分けられる。『無関心』と『過度の関心』である。後者の場合は大体社会的な問題や政治的な問題と関連して強い関心を持つ。<サイエソ in between>の作業中、家族達にインタビューをしながら戦争や分断、移民生活のような大きな出来事の中でも、そこに彼らの日常が存在していたことがよくわかった。ウリハッキョも私達には日常であるが、一歩外に出ると社会的背景からイシューとなる。個人の日常がイデオロギーによって侵害されているのである。私はこの作業を通じて歴史をフィルムに収めたかったのではない。私達の世代がどのように変わり、どんな認識を持ち、どのような未来を生きて生きたいかが知りたった。なぜ日本人に帰化しないのかという韓国人や日本人の言葉には無関心が含まれている。私達がルーツを探すため、そして私達だけのアイデンティティーを守るためにどれだけ努力してきたか知っていれば、そんな言葉は出てこないと思う。父が末期癌で入院生活を送っている。父の世代である在日2世は、1世と3世に比べてより辛い想いをしてきた。彼らの存在があったから、私達の世代が幸せに暮らす事ができた。今目の前で1世代の人生が幕を閉じようとしているが、彼の意志と精神が私に引き継がれてゆくと信じている。

 

文:キム・ボリョン記者

 

 

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